悠久の美<5> 楽毅論
力強く繊細 光明皇后の書
光明皇后がお書きになった「楽毅論」。聖武天皇の宸筆「雑集」など3巻とともに箱に納められ、さらに厨子に収納されて大仏へ献納された。本紙(白麻紙3枚)のあとには橡色の紙が継がれ、「天平十六年十月三日 藤三娘」と書かれている。藤三娘は藤原不比等の三女である光明皇后のこと。このとき皇后は44歳だった。
『楽毅論』は、中国の戦国時代の燕の将軍・楽毅の人物論で、作者は三国時代の魏の夏侯泰初(夏侯玄)。楽毅は斉と戦って70余りの城を陥落させたが、二つの城だけは攻めなかったために疑いをかけられ、やがて亡命することになる。夏侯玄は楽毅を弁護し、二城を攻めなかった楽毅の遠大な構想を称讃している。
のちに東晋の王羲之がこの文章を書き、王羲之の楷書の代表作とされたので、多くの模本が作成された。本巻は、王羲之の模本を光明皇后が臨書したものとされる。しかし、王羲之の「楽毅論」の善本である余清斎帖と比較すると、個々の字形も筆意も全体の姿もあまりにも異なっている。光明皇后が王羲之の「楽毅論」を学んだことは疑いないが、これは王羲之の模本を底本にして書いた皇后自身の書というべきであろう。力強い男性的な筆遣いのようにみえるが、細い筆線の部分は意外なほど繊細で愛らしい。
料紙には、裏からヘラ押しでつけた細い折れ目が縦に入っている。このような界線をもつ紙を縦簾紙といい、王羲之模本の「喪乱帖」や「孔侍中帖」など、わずかな遺例しか知られていない。
(学芸部長 西山厚)
(2009年11月01日 読売新聞)