二十九番・国分寺 (高知県南国市)
貫之の嘆き 随所に刻む
愛娘を失った悲しみを詠んだ紀貫之の歌碑。観光客だけでなくお遍路さんも訪れ、当時に思いをはせる(高知県南国市比江の紀貫之邸跡で)
見渡す限り広がる田園風景。路傍で鮮やかに咲いた真っ赤なヒガンバナが秋の気配を漂わせるなか、静寂をたたえた木立に囲まれた二十九番札所・国分寺が見えた。威風堂々とした仁王門をくぐると、金堂までお遍路さんを導く白い石畳が続く。手入れの行き届いた美しい庭に目を奪われる。
かつて、この辺りは国庁が置かれた土佐の中心だった。平安時代には、古今和歌集を編纂(へんさん)した歌人・紀貫之が延長8年(930年)から4年間、国司として滞在。日記文学の草分けとされる「土佐日記」は、土佐から京へ戻るまでの55日間の出来事や心情をつづった作品だ。
寺の北東約1・5キロに向かうと、貫之が過ごした邸宅跡があった。現在は公園として整備されており、貫之が詠んだこんな歌の碑が立っている。
みやこへと おもふをもののかなしきは かへらぬひとのあればなりけり
「かへらぬひと」は娘のことで、6〜7歳だったとされる。土佐日記には、帰京直前に愛(まな)娘を失った嘆きが随所に記されており、妻との遍路の途中で訪れた広島県福山市の山田登志央さん(60)は「3年前に食道がんを患ってから日記をつけています。貫之がどんな思いで日記をつけたのか読み直してみたいですね」としみじみ語ってくれた。
貫之は、現在の高知市大津乙の船戸から京へと旅立った。国庁からの経路は不明だが、国分川から船で出立したとの説もあり、川沿いの遍路道を西へ。しばらくすると、道は川と二手に分かれたが、そのまま進むと、鉄鋼工業「ヒダカ技研」(南国市岡豊町蒲原)の入り口に遍路小屋があるのを見つけた。
社長の石川為市さん(71)が2002年12月、厳しい歩き遍路のために設け、雑記帳には、お遍路さんの感謝の言葉がびっしりと並ぶ。宿泊しようとやって来た神戸市西区の山本栄二さん(65)は「今回が初めての歩き遍路。きついですが、地元の人のお接待に本当に助かっています」と一息ついた。
遠く貫之の時代から、多くの旅人らが交差した〈まほろば〉の地。温かな接待文化と豊かな歴史に触れ、心が癒やされた気分になった。
(佐藤直子)
【国分寺】
聖武天皇の勅願により、天平13年(741年)に行基が開山。後に弘法大師が復興し、二十九番札所となる。永禄元年(1558年)に長宗我部国親、元親親子が金堂を再建したほか、江戸時代には土佐藩主・山内家に手厚く保護された。金堂と梵鐘(ぼんしょう)、木造薬師如来立像2体は国の重要文化財。南国市国分546。JR土讃線後免駅から土佐電鉄バスで植田行国分寺通下車。徒歩5分。
周辺案内
厳選素材のあんたっぷり

昔ながらの素朴な味が人気のへんろ石まんじゅう
へんろ石まんじゅう
1892年創業。白下糖(しろしたとう)や北海道・十勝産の小豆を使った名物のまんじゅうは、薄茶色の皮の中にあんこがたっぷり詰まり、昔ながらの素朴な味わいが人気。営業時間は午前8時から午後5時ごろまでで、売り切れ次第終了。5個入り370円、10個入り740円。南国市下末松433の1。(電)088・864・2644
城跡散策で土佐の歴史

歴史資料が並ぶ展示室
高知県立歴史民俗資料館
1991年5月にオープン。高知の歴史を原始・古代、中世、近世、近現代に分けて紹介する総合展示室などがある。同館が立つ岡豊山歴史公園は、戦国時代に土佐を治めた長宗我部氏の居城だった岡豊城跡にあたり、復元された礎石建物跡などを散策しながら学ぶこともできる。午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)。年末年始は休館。入館料450円(高校生以下無料)。南国市岡豊町八幡1099の1。(電)088・862・2211
そば食べにふらり寄って

JA直売所には新鮮な野菜が並ぶ
道の駅「南国 風良里(ふらり)」
カツオのたたきや芋けんぴなど高知の特産品をそろえたショップ、海洋深層水で育てた青のりを打ち込んだそばが食べられる喫茶店、産地直送の野菜が並ぶJA南国市の直売所がある。ショップは午前9時〜午後6時、喫茶店は午前8時〜午後6時で、いずれも火曜定休。直売所は午前8時30分〜午後5時で、正月三が日が休み。南国市左右山102の1。(電)088・880・8112
(2006年10月05日 読売新聞)