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義理と人情 大衆演劇・・・桃山学院大学名誉教授 沖浦和光


濃密な触れ合い生き


おきうら・かずてる 桃山学院大学名誉教授・比較文化論。1927年大阪府生まれ。著書に「幻の漂泊民・サンカ」「『悪所』の民俗誌」「旅芸人のいた風景」など。

 私が育った昭和前期の時代には、旅芸人の一座がよくやってきた。春祭りや秋祭りの頃(ころ)に、幟(のぼり)をひるがえしながら、触れ太鼓を叩(たた)いて回って、神社や寺の境内で興行した。ドサ回りの一座だったが、ともすれば閉鎖的になりがちな村落社会に風穴を開けてくれる文化の伝播(でんぱ)者だった。

 しかし戦後の高度成長時代に入ると、伝統的な民俗行事がしだいに廃れ、村祭りでの興行が途絶えた。テレビが普及すると、都市の芝居小屋も急減した。

 昔ながらの旅の一座は消えていったが、その伝統を受け継いでいるのが「大衆演劇」である。1980年代には三十数座まで減ったといわれるが、近年活況を呈し、およそ200の一座が全国を旅して回っている。近世には、全国に数十の「役者村」があり、村人の多くは旅巡業で生活していたが、その系譜に連なる座も現存している。

 大阪・新世界の通天閣を起点に、「王将」の歌で有名な坂田三吉ゆかりのジャンジャン横丁を通り抜ける約1キロ、この界隈(かいわい)は明治・大正期の下町の雰囲気が残っているが、そこに3軒の芝居小屋がある。私の大好きな回遊路であるが、年に数回は芝居小屋に入って気分をリフレッシュする。

 中世の河原に建てられた芝居小屋に似た小さな劇場だが、芝居と歌舞ショーの3本立てで1500円、最後の総踊りの1時間半なら600円。短い花道もあって、役者と観客の距離感が全くない。芝居は股旅(またたび)物か下町長屋の人情話で、幕切れは「人と人との悲しい別れ」である。


人情味あふれる世界を描いて人気を集める大衆演劇(大阪市西成区のオーエス劇場で)

 先日もオーエス劇場(大阪市西成区)に出ている20代の俳優、松丸屋小弁太の苦労話を聞かせてもらったが、祖父母の代からの旅芸人で、楽屋で生まれ育ち15歳で座長になった。

 舞台の構想はすべて座長の頭の中にあって、昼と夜の2回公演で、演目は日替わりだ。1か月の興行でざっと50本の出し物を演じなければならない。終幕後、午前2時頃まで翌日のリハーサルをやる。それだけでも頭が下がる。

 小さな座といっても十数人いる。売り上げの木戸銭は小屋主と座主で半々に分けるので、平日の昼夜で客が数十人という時など、その日の生活に事欠いてしまうことがある。しかし、客からいただく「花」や、「元気が出たで」というほめ言葉に励まされる。

 こうした大衆演劇を支えているのが、オバチャンたちを中心とする熱心なファンだ。かぶりつきでペンライトを振りかざし、掛け声を飛ばしたり、小屋をはしごしたりと元気だ。

 ネット社会とケイタイ文化が広がり、まことに便利なご時世になったが、その反面で人と人との直(じか)の対話と触れ合いがなくなってきた。

 とげとげしく冷たい関係に覆われようとしている今日、頼みとするものが何もない民衆は、旅役者の世界に情を求めてやってくる。「義理」とは自分の利害を棄(す)てて人の道に生きること、「人情」は他者に対する思いやりといつくしみである。それがなくなれば、まことにわびしい世の中になる。昔風であることを承知しながら、義理と人情の旅芸人の舞台に惹(ひ)かれてやってくる。

 どこの座でも夜8時半の終演の際には、役者全員が小屋の入り口に勢揃(せいぞろ)いして、舞台姿のままで、お客さん一人ひとりと握手して言葉を交わす。こんな濃密な人間的コミュニケーションが、まだ遊芸民の世界では生きているのだ。

2008年04月16日  読売新聞)

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