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読売こころ塾

第19回 小野田寛郎さん

 宗教学者の山折哲雄さんを塾長に、日本人の心について考える公開講座「第19回読売こころ塾」(読売新聞大阪本社主催、大阪府、大阪市後援)が1日、大阪市中央区の大槻能楽堂で開かれた。ゲストは小野田自然塾理事長の小野田寛郎さん。これまでとは形式を変え、第1部では小野田さんが、昭和戦争後の約30年間にわたるフィリピン・ルバング島での生活や、帰国後のブラジルでの牧場経営などについて基調講演。第2部では、子どものための自然塾での教育方針などについて山折さんと対談し、約550人の聴講者の中には熱心にメモをとる人の姿も見られた。司会は音田昌子・大阪府立文化情報センター所長。

基調講演・・・ゲスト 小野田寛郎さん

 もっと子どもたくましく


 おのだ・ひろお 財団法人小野田自然塾理事長 1922年、和歌山県生まれ。終戦後、フィリピン・ルバング島で30年間戦い続け、74年に帰国。その後ブラジルで牧場を経営しながら、84年から青少年育成のための自然塾を開校。2004年、ブラジル・マットグロッソ州名誉州民に選ばれる。社会教育功労賞、藍綬褒章など受章。

 ルバング島の戦場に行ったのは62年前。日本は一方的に押され、非常に切迫した時期でした。私は元陸軍少尉に違いないのですが、実は情報員。「敵が上陸し、日本軍が全滅した後も島で生き残れ」と命令がでた。何としても生き通さなければならず戦った。

 5年後、マニラ周辺で船や飛行機の動きが盛んになった。日本の反撃が始まったと思ったが、これは朝鮮戦争。そして、またにぎやかになりベトナム戦争とエスカレートしていった。それを日本の戦争だと誤認したわけです。

 島で一番最初に心配しなきゃいけないのは食糧。そこで放牧されている牛を年に6、7回とった。銃で射殺し、肉を山奥へ5、6時間かけて担ぎ込み、火を燃やして徹夜で腐らないように水分を抜く。年間250キロを食べ、あらかたの栄養を肉で取った。でもそればかりというわけにはいかず、山すそのバナナも食べた。バナナは青いのをそのまま輪切りにして煮る。皮と実の間が苦いので、ヤシのミルクを搾った。この三つを混ぜ合わせて毎日食事をした。

 グルメなんて、ぜいたくなことは言えない。医者も薬もなく、まず健康でなければいけない。風邪をひいたからといって寝てられない。その時に敵に踏み込まれたらおしまい。だから、どんなに苦しくとも、食べるものは絶対遠慮しないという方針を立てた。

 毎日、毎日、敵、敵、敵で暮らしてきた。楽しいことなんか一日だってない。豚のように餌を食べ、けだもののように泥の上に寝て雨に打たれて、惨めなことこの上なし。それでも生き続けてきたのは国のためであり、自分の親、兄弟、そう思い戦ってきた。

 帰ってきて、ブラジルで8年の間に牧場を軌道に乗せた。なぜ牧場なのか、というと私の30年間の戦闘は、誰も証人がいない。だから今までやったことのない仕事をして、ちゃんと出来れば、「どこへ放り出されても食い抜けるぐらいの力ある男なんだな。じゃ、ルバングでも食い抜けたんだろうな」と、30年の裏付けになると思った。自分の実力の証明であって、決して資本家になろうと思ってつくったわけではなかった。

 そのころ、日本では(子どもが両親を殺した)金属バット事件が起こった。なぜ、お父さんと衝突したのか。お互い十分意見を主張できなかったのか。それが駄目なら、家を出て肉体労働してでも食べられなかったのか。子どもはもっとたくましくなればと、思いついたのが自然塾です。

 塾を初めて23年。私のところに来た子には「自然がなきゃ生きられない」「周りの人がいなきゃ生きられない」「わがまま言っちゃいけない」と、自然を通じて様々なことをやらせて、教えている。

 しかし、日本の事態は悪くなっている。子が親を殺す。大の男が自分の欲望のために、いたいけな子どもを殺す。どうなっているんだろう。結局、原因は戦争に負けたことだと。負けたからしようがないが、何もそこまで悪くならなくてもいいのでは。とにかく自由だ、権利だ、とだけ教えている。自由の裏には責任がある、権利の反対側には義務がある、ということを教えないで来たからだと思う。

 自由のためには、それだけの責任がある。権利を主張するなら、それに応じた義務があるんだということを自覚してもらわないと、犯罪や不祥事はなくならない。ひいては、国家の存亡にかかわると、考えているわけです。


対談

 人は生きる力持っている


小野田さん(舞台中央)と山折さん(同左)の対談に耳を傾ける聴講者(大阪市中央区の大槻能楽堂で)

 山折 小野田さんが自然塾で真っ先に教えたのがナイフの使い方。凶器であり、日本の教育界や親たちが、一番避けようと思っているもの。これには驚いた。

 司会 やっぱりけがをして痛いという経験も大事ということなんですかね。

 小野田 ナイフがないと火おこしもできない、道具も作れない。ウサギが転がってても、どうして皮をむくのか。生では食べられないので、やっぱり火をおこさないといけない。一番先に必要なのはナイフだと思います。


 おんだ・まさこ 大阪府立文化情報センター所長 元読売新聞大阪本社編集委員。

 山折 小野田さんの著書「君たち、どうする?」(新潮社)の中で、ナイフで生きものを殺す時に子どもが「どうして殺さなければいけないの」と質問してきたという。これに、どう答えるのかが大きな問題で、人間、何かを殺して食べなければ生きていけないということを、教えることは非常に難しい。小野田さんは実践を通して、子どもにわかるように書かれている。

 小野田 魚の腹を割くと、子どもから「かわいそう」と声がでる。「じゃあ魚を食べたことないの? 人がやったら平気なの」と言うと、子どもは詰まる。「私たちは食べなければ生きられない。命をいただいているから、ご飯の時に『いただきます』と手を合わしてもおかしくないじゃない」と説明する。かわいそうと思うのは当然で、それを認めながら説得するのが、本当の育て方だと思う。

 司会 だから「大切に残さず食べろ」ということにもつながるんですね。最後に会場の皆さんにごあいさつを。

 小野田 私たちは生きるように生まれてきている。また生きる能力を持っている。死ぬことを恐れたら100%の力は出せない。「死ぬ時は死ぬさ」と居直るほどの大きな気持ちで毎日を努力していただきたいと思うのです。


総括・・・塾長 山折哲雄さん

 自然塾、社会の要望実践


 やまおり・てつお 宗教学者 1931年生まれ。著書に「日本人の情感はどこからくるのか」「日本の心、日本人の心」「さまよえる日本宗教」「近代日本人の美意識」「ブッダは、なぜ子を捨てたか」など。

 私は小野田さんから一世代下で、敗戦の時は旧制中学の2年。戦争の現場は知らないが、戦前の価値観、ものの考え方を共有できた世代です。にもかかわらず、我々は次の世代に向け、戦争がどういうものだったかを伝える役割を、熱心にしなかった。放棄していたのかもしれない。

 日本は戦後60年という時代を迎えている。その前半の30年、小野田さんは戦争のただ中におられた。ところが、帰還された時、日本の社会は大きく変わっていた。戦争の記憶を否定的にとらえたということが一つある。軍国主義の暗い思い出、東アジアの戦場における悲劇的な状況、広島、長崎の原爆被害、大きく分けて三つの暗い体験というものが戦後30年の日本人、社会に対して極めて大きな影響力をふるった。

 その結果、戦争とか、戦場とか、その中で生き抜く、人間の運命というものに対する想像力、洞察力を奪ってしまったのではないか。生死をかけて30年、戦い続けた人間の運命、その人生の深層を理解しようとする態度がなかった。そのことを小野田さんは、直覚されたに違いない。1年足らずでブラジルに移住されたのは、まさにそこにあったのではないか。

 60年の間で日本人のものの考え方、感じ方、価値観が大きく変化している。そんな時に、「このまま行ったら社会は駄目になる。次の世代に、どういう教育を施さなければならないのか」という使命感を持たれて、小野田さんが、社会にカムバックされた。次世代の子どもたちを教育するための塾を作られた。

 今、文部科学省をはじめとして「自然体験をしなければいけない」と言っているが、どう見ても手ぬるい。小野田さんは意欲的な子どもを集めて山の中で自炊をして、土の上に寝て、いわば「自然人」としての生き方とは何かを教えておられる。4、5年前からは「親も教育しなければいけない」と親子塾に変えた。

 これも今の社会が、教育界が、切実に感じていることを最も鋭い形で実践されているのではないかと感じます。

2006年10月14日
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